「不完全な美」
20年以上仕立て業界に携わってきたが、未だに「仕立て服とは何なのか?」という問いに私自身はっきりとした答えは出ていない。答えを出すとそこで終わってしまうので、その問いに向き合い続けることに喜びを感じているとも言える。ビジネス着としての仕立て服という価値観が最も一般的だとは思うが、ロンドン・ミラノ・フィレンツェ、そしてナポリと世界の仕立て服の聖地である4都市を実際に見てきて、ただのビジネス着であることを遥かに超える魅力が仕立て服にあることは私自身が最も強く感じてきたし、20年経っても私自身の仕立て服に対する情熱が尽きないのがその証拠でもある。
仕立て服が既製品の服と決定的に違う点は「着心地」である。当たり前の話のように思われるかもしれないが、まさにそこに仕立て服の歴史が積み重ねてきた技術の全てがある。大勢の人に合うための既製服と、あなただけのために作られる仕立て服。仕立て服は着心地が良くて当たり前。確かにそうである。しかし着心地の良い服を作るために私自身20年以上を費やし、そして今尚悩みながら試行錯誤を続けているのだ。1000人いれば1000通りの体型と骨格がある。その体にどのように乗せれば最高の着心地になるのか?1着1着未だに悩みながら型紙に向かっている。なので、お客様への最終フィッティングの時に大変着心地が良さそうな反応をお客様が示してくださるのを見ると、お客様以上に私自身が喜んでしまうことも少なくない。着心地の良い服を作れた時の喜びは格別なものがあるし、自分自身も着心地の良い服を着た時の感動は言うまでもない。
仕立て服の価値は着心地であることは述べたが、もう一つ大切なことがある。それが体型補正という考え方だ。痩せ型、ぽっこりお腹型、怒り肩に撫で肩、猫背にo脚。人々の体型の様々な癖や特徴は言い出したらキリがない。それらの長所や短所をスーツを着ることで隠したり強調したりさせる技術だ。短所を軽減させたり個性として強調させることでお客様がさらに輝くように舵取りをしていく。それが仕立て服に置いての体型補正という考え方だ。これがあって初めて美しい服を作ることができる。私のような裁断師は1着1着この課題に悩みながら1000体をこなしてようやく一人前になると言われる世界だ。おかげさまで20年以上かけて1000体という基準は越えたが今尚悩みが尽きないのが体型補正という難しさだ。
着心地と体型補正、この2つの課題を裁断師がうまく舵取りをすることで美しい服は誕生する。しかし仕立て服はそこに留まらない。さらに上の世界が仕立て服にはある。それが縫製師によるハンドメイドの高い技術が生みなす「味わいと色気」という世界だ。この技術がミシン縫いでは絶対に表現できない至宝の表情を生み出すのだ。中でもナポリ仕立ての縫製はその他の地域と比べて圧倒的なハンドメイド箇所の多さから無類の表情を生み出すことで有名である。私自身40歳を過ぎてからナポリの超一流と名高いマエストロに師事することを許され、10ヶ月間に及ぶ修行生活の中で朝から晩まで手で縫う日々を送ることで、その現場をこの目で見て体で体験してきた。その体験の中で理屈を超えた世界を肌で感じてきた。なぜそんなところまでミシンではなく手で縫うのか?と聞いても、ナポリのアルティジャーノ(職人)達からは口を揃えてたった一言の言葉が返ってくる。「それがナポリだから」。そのたった一言の言葉の中に仕立て服とは何か?という答えが含まれていると今も確信し、そして今も探し続けている。
最後に、このブログの表題にもした「不完全な美」について語りたい。私たちは不完全な生命体であり、不完全だからこそ生命体であると思うのだ。仕立て服の魅力はまさにそこにあるのではないか?と感じている。完全無欠のミシン縫いの美しさも私は認めるところではあるが、ハンドメイドの不完全な魅力こそが服に生命を与える唯一の方法であると感じている。ミシンの世界もピックステッチといったハンドメイドに近い表現をするステッチを表現する域にまで来ている。しかし、縫い目が完璧に揃ったステッチにやはり生命は感じない。ハンドメイドの不完全なステッチ、不完全な様々な箇所の縫い目から感じる生命感。それが私たちの生命とシンクロすることによって、服と初めて一体化される。そんな気がしてならない。そしてその感覚が「これが私の服である」と思わせる圧倒的な愛着へと時間をかけて熟成されていく。その喜びは最高の出来栄えの年のブルゴーニュに匹敵する代物となると私は確信している。だからこそ20年以上もこの仕立て服という世界に情熱が傾けられていると思うのである。自らの手でいつかロマネコンティのような服を作れるようになりたい。私の一生でそれが実現できるか?は分からないが、16歳の息子が私の後を引き継ぐ為にこの仕事を初めてくれている。代を超えて実現させるのもまた一興である。
Masayuki Hamada
20年以上仕立て業界に携わってきたが、未だに「仕立て服とは何なのか?」という問いに私自身はっきりとした答えは出ていない。答えを出すとそこで終わってしまうので、その問いに向き合い続けることに喜びを感じているとも言える。ビジネス着としての仕立て服という価値観が最も一般的だとは思うが、ロンドン・ミラノ・フィレンツェ、そしてナポリと世界の仕立て服の聖地である4都市を実際に見てきて、ただのビジネス着であることを遥かに超える魅力が仕立て服にあることは私自身が最も強く感じてきたし、20年経っても私自身の仕立て服に対する情熱が尽きないのがその証拠でもある。
仕立て服が既製品の服と決定的に違う点は「着心地」である。当たり前の話のように思われるかもしれないが、まさにそこに仕立て服の歴史が積み重ねてきた技術の全てがある。大勢の人に合うための既製服と、あなただけのために作られる仕立て服。仕立て服は着心地が良くて当たり前。確かにそうである。しかし着心地の良い服を作るために私自身20年以上を費やし、そして今尚悩みながら試行錯誤を続けているのだ。1000人いれば1000通りの体型と骨格がある。その体にどのように乗せれば最高の着心地になるのか?1着1着未だに悩みながら型紙に向かっている。なので、お客様への最終フィッティングの時に大変着心地が良さそうな反応をお客様が示してくださるのを見ると、お客様以上に私自身が喜んでしまうことも少なくない。着心地の良い服を作れた時の喜びは格別なものがあるし、自分自身も着心地の良い服を着た時の感動は言うまでもない。
仕立て服の価値は着心地であることは述べたが、もう一つ大切なことがある。それが体型補正という考え方だ。痩せ型、ぽっこりお腹型、怒り肩に撫で肩、猫背にo脚。人々の体型の様々な癖や特徴は言い出したらキリがない。それらの長所や短所をスーツを着ることで隠したり強調したりさせる技術だ。短所を軽減させたり個性として強調させることでお客様がさらに輝くように舵取りをしていく。それが仕立て服に置いての体型補正という考え方だ。これがあって初めて美しい服を作ることができる。私のような裁断師は1着1着この課題に悩みながら1000体をこなしてようやく一人前になると言われる世界だ。おかげさまで20年以上かけて1000体という基準は越えたが今尚悩みが尽きないのが体型補正という難しさだ。
着心地と体型補正、この2つの課題を裁断師がうまく舵取りをすることで美しい服は誕生する。しかし仕立て服はそこに留まらない。さらに上の世界が仕立て服にはある。それが縫製師によるハンドメイドの高い技術が生みなす「味わいと色気」という世界だ。この技術がミシン縫いでは絶対に表現できない至宝の表情を生み出すのだ。中でもナポリ仕立ての縫製はその他の地域と比べて圧倒的なハンドメイド箇所の多さから無類の表情を生み出すことで有名である。私自身40歳を過ぎてからナポリの超一流と名高いマエストロに師事することを許され、10ヶ月間に及ぶ修行生活の中で朝から晩まで手で縫う日々を送ることで、その現場をこの目で見て体で体験してきた。その体験の中で理屈を超えた世界を肌で感じてきた。なぜそんなところまでミシンではなく手で縫うのか?と聞いても、ナポリのアルティジャーノ(職人)達からは口を揃えてたった一言の言葉が返ってくる。「それがナポリだから」。そのたった一言の言葉の中に仕立て服とは何か?という答えが含まれていると今も確信し、そして今も探し続けている。
最後に、このブログの表題にもした「不完全な美」について語りたい。私たちは不完全な生命体であり、不完全だからこそ生命体であると思うのだ。仕立て服の魅力はまさにそこにあるのではないか?と感じている。完全無欠のミシン縫いの美しさも私は認めるところではあるが、ハンドメイドの不完全な魅力こそが服に生命を与える唯一の方法であると感じている。ミシンの世界もピックステッチといったハンドメイドに近い表現をするステッチを表現する域にまで来ている。しかし、縫い目が完璧に揃ったステッチにやはり生命は感じない。ハンドメイドの不完全なステッチ、不完全な様々な箇所の縫い目から感じる生命感。それが私たちの生命とシンクロすることによって、服と初めて一体化される。そんな気がしてならない。そしてその感覚が「これが私の服である」と思わせる圧倒的な愛着へと時間をかけて熟成されていく。その喜びは最高の出来栄えの年のブルゴーニュに匹敵する代物となると私は確信している。だからこそ20年以上もこの仕立て服という世界に情熱が傾けられていると思うのである。自らの手でいつかロマネコンティのような服を作れるようになりたい。私の一生でそれが実現できるか?は分からないが、16歳の息子が私の後を引き継ぐ為にこの仕事を初めてくれている。代を超えて実現させるのもまた一興である。
Masayuki Hamada