SUIT ISM 03

スーツの哲学

私たちに、なぜ美しいスーツが必要なのか

 仕立て屋という仕事を続けていく中で、私自身が服作りに対し迷った時、自信を失いかけた時などには、必ずこの問いに戻ってきます。そしてこの問いからもう一度スタートします。何度も何度もこの問いに戻っては進み、戻っては進んでいる状態が今現在も続いている状態ですので、必ずしも私の中ですでに答えが出ているわけではありません。

 しかし、この問いにこそ私は「哲学」が大いに関係してくると思っています。人はなぜ生まれてきたのか、人生とはなんぞやという疑問に対し、人々は古くはギリシャ時代からこの精神的な問いと向き合ってきました。その作業と日々の生命活動とが融合され衣食住の有りかたが創造され、世界中にさまざまな文化や芸術も誕生しました。

 私は人の作りあげてきた文化や芸術こそ、まさに人が人と言うものを知る為の追求なのだろうと思っています。そのなかでファッションももちろん例外ではありません。刹那な人の一生というものをいかなる衣服を身につけて生きるべきか。

 仏教では 「私」とは、(人と人との関わりあいの中に存在する)と説きます。衣服はまさに、人と人とが、いかにして関わってていくか。その哲学がふんだんに含まれていると思うのです。

 TPOという「型」も、まさにそのことに直接関係しています。どんな時間で、どんな場所で、どんな場合で人と接するのか。その時、その時にふさわしい服装とは?という問いに対して一つ一つ答えを探してきた歴史であります。

 服装とは自分が自分の人生を作り上げていく中で、人といかしにて向き合っていくのか?を表現する行為なのです。

 それは、私が2010年春に世界最高峰のオペラハウス、スカラ座の講演を生まれて初めて見に行った時に、スカラ座という劇場から肌で教わったことでもあります。フォーマルという衣装は、何もタキシードや燕尾服といった服の種類を指すものではなく、オペラの演者に対する敬意と、共にその感動を味わう人々への友好の証なのだと。その心が(フォーマル)という意味なのだと教えられました。そのフォーマルな心を源泉として表現される衣装の全てがフォーマルとして正しい価値を持つのだと確信しています。

 ファッションは哲学である。スーツは哲学であるのだと考えるのです。

Masayuki Hamada