
スーツの哲学
ファッションに存在するプラットフォーム
イタリアに限らず西欧のファッションには、「基本」というプラットフォームが確かに存在します。それはイギリスに残る「正当」という概念です。伝統的ともいえるでしょう。服はこう着るべきという基本がまず存在するのです。これが有るのと無いのとでは大違いです。このコラムの主題である「スーツの哲学」という表現が可能なのも、このプラットフォームが存在するからに他なりません。
彼らの生活様式と哲学が育ててきたファッションにおけるTPOという概念は、場所や時間、さらにそれぞれの場面にふさわしい服装があるとして、その世界観を創りあげてきたのです。その世界は彼らの美意識そのものでもあります。
その様式が伝統となり型となると、そこにでてくるのはその型”に対するアンチテーゼ。それがもう一つの世界「モーダの世界」の胎動です。モーダの世界についての話は別の機会として、ここではファッションには基本があるということと、その基本にはそのスタイルを裏付ける哲学があるということです。
ここで、ながながとスーツに対する歴史をナポレオンの時代を起源として語り始めることは余りにもくどくなりますので割愛しますが、あえてプラットホームの存在を大きく訴えるのには訳があります。それは日本にはファッションに対する軸が全くないからです。哲学や一定のルールを基礎としないものに価値を見出すことは困難です。大海の中で一個のスイカを探すようなもので、意味がありません。
私たちはファッションに真の喜びを見出す為にも、また人生に生きる喜びを見出すためにも、伝統や哲学、そういった”型”というものを今一度見直し、そこに価値を認めることが大切だと強く感じています。

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