BLOG2009

2009.12.30

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明日へと続く道

 今年も残り2日。お陰さまでちゃんと家族4人ご飯を頂き、雨露しのぐことができました。濱田洋服店を支えて下さった方々にこの場をお借りして心から御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

 日本は大変厳しい時代が続きます。何が辛いかというと人生を深く考察する時間と手段がなかなか見つからないからではないかと思います。一言で「幸せ」といっても時代によってどんどん人々の価値観は変化します。そのような流れの中で、現代の日本人にとっての素敵な「幸せ感」のモデルケースが探してもなかなか無いんだと思います。

 しかし、私たちのDNAにはきっと古き良き日本人の魂が残っているはずだと思うのです。先日、素晴らしい「日本侍」と出会いご縁を頂くことができました。数時間のお酒の席でしたが、私の来年を占う素晴らしい出会いでした。そのご縁をきっかけに日本の伝統文化とイタリアの伝統文化の懸け橋となり、私自身も職人のはしくれとしてもっと充実した感性を養いたいと思っています。

 来年も、今年と同様に自らの一歩という感触を大切にして意味ある道を探して参りたいと思います。誠実に道と向き合えばきっとその向こうには素敵な出会いが待ってる。そう信じて。。。

それでは皆さま、良いお年を。

2009.12.14

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仏教と向き合う

 最近は、仏教について少し調べています。仏教とは大変興味深いものです。ゴータマ・シッダールタが、悟りを開きブッダと呼ばれて人々を苦しみから救う智慧を説いて回りました。宗教や哲学・思想などはその歴史は古く、私たちの生命の営みと直接的な関係が色濃いものです。時代背景や地理風土によってその理論体系は異なり、あるいは変化しながら現代に脈々と続いています。

私たちはなぜ生まれてきたのか。
生きるとはどういう意味なのか。
「私」とはいったい何であるのか。

仏教は、生きることはそれだけで「苦役」であるとしました。
私たちが生きているということ自体がそれだけで、根源的に苦しいものなのだと説いたわけです。さらに「欲」というものが人々に苦しみを与えるとし、欲を捨てることで苦しみから逃れられるとしました。最後に無知、真理を知らないことが私たちに苦しみを与えているとし、智慧の光を得ることで苦しみから逃れられるとしました。これは仏教用語で「無明」といいます。

※「無明」
多くの人は「闇は存在する」と漠然に考えますが、しかし闇に光が当たると、たちまち闇は消えうせます。これは闇がどこか別の所へと移動したわけではなく、闇は初めから存在しなかったという事なのです。その例と同じく、私たちの精神的な苦しみも、智慧の光によってその闇はたちまち消えるとしました。このように実際無いものを有ると考えることを無明であると説きました。

地域によって、風土によって、あるいは時代によって、人々の苦しみは種類も質も変化します。しかし人間は太古の昔から、こうして苦しみという事柄に向き合ってきました。

人はなんの為に生きているのでしょうか。
その理由を解決する絶対的な理論はどこにもありません。
人はなぜ生まれてきたのか?という問いについても同じです。
そして死んだあと、あの世はあるのか、また前世というものは存在するのか?という問いに対しても、「輪廻」という言葉やカルマという言葉が仏教用語して存在するので、その存在は有るとしているのかというと、実はブッダはその問いに対しても「無記」という態度を貫き通しています。

私たちは、そもそも意味があるのか無いのかもわからない「人生」という旅に、自己の意志とは関係なく放り出されたわけです。

そのような人生を、いかにして生きるべきか、何の為に生きるのか。という問いに対してまずは、雨露をしのぎ、口を養えれば御の字と考えるのが当たり前ではないでしょうか。今までの時代はこれが難しかった、今も世界中ではこれが困難な国や地域が沢山あります。日本は豊かになり大多数の人々が雨露をしのぎ口を養えるようになりました。しかしこれで満足しないところが人間の「業」というものなのかもしれません。

そして今の時代、「雨露をしのいで口を養うだけでは評価に値しない」という風潮があり、「勝ち組・負け組」という言葉で代表されます。このような風潮は私たちをどんどん生きにくくしているとも感じます。雨露をしのぎ口を養うこと以外のことは、はっきり言ってしまうと「全て余分なこと」と、まず大前提でとらえた後に、その余分なことについて考えるとどうでしょう。

そして、人間はこの余分なことにさまざまな喜びや甘美・価値を見出してきたのも事実です。そのように順序だてて考えると、少し今までとは違った感覚で人生をとらえることができるのではないでしょうか。

仏教をはじめとする世界宗教、あるいは哲学や思想も、私たちの人生を生き抜くテクニックとして使えるところは使っていくという態度で向き合っていくのもいいのかもしれません。

2009.12.11

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生きる速度

 私たちの心は、脳の活動とも言えます。シナプスの電子信号が神経細胞を複雑に駆け巡りながら私たちの全てを支配しています。高野山の行者は絶食をして山へ籠り、たった3日目で、ほとんどの行者が幻想と向き合うといいます。人の脳は3日間食事を取らないだけで、幻想をも簡単に生み出す小宇宙です。

 人類は遡ること、ネアンデルタール人の頃から死者を埋葬するという習慣が見られるそうです。他を思う心、人を思いやる心は、私たちの脳の本能的、あるいは根源的な行為だということなのでしょうか。私たちの脳は、現代日々押し迫る情報の激流に大忙しです。ここ10年ぐらい前から、人間の生きやすい速度を時代が遙かに超えてしまったとも言われています。そして個人主義が加速され、忙しさの上に気がつけば一人という孤独感を味わっている人が日本では増えているといいます。そんな日々を続けることで、生きていく価値を見いだせなくなり、疲れ果てた末の自殺。日本ではこういうケースが多く、年間自殺者は3万人を超えます。

 何に急かされているのか、なぜ急がなくてはいけないのか。出来ることなら社会全体が、もう少し歩む速度を緩めて、私たちの脳の中に眠る本能的な機能を再び開花させたい。そして人を思いやる心、もっと人間らしい姿に戻りたいと思います。

2009.12.10

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何かを見つける為に、何かを感じる為に...

 人というものは成功や達成より、失敗や挫折に多くを学ぶ生き物だと言います。成功や達成は喜びを与えてくれますが、失敗や挫折は、なぜ失敗したのか?なぜ挫折を味わうことになったのか?という「問い」を提示してくれます。さらに今後の失敗や挫折を回避するために、成功という姿とは?という反対方向の問いにも改めて向き合う機会を得ます。物事を根源から見直す。そのチャンスは節目でないと得ることができません。

しかし今の時代、全ての日常がこの種の節目となってはいないでしょうか。
アメリカ的な豊かさや価値を信じ、追い求めてきた日本社会が、バルブの崩壊そしてサブプライムショックを経て、一種の挫折を味わっているように思えます。今まで価値あるものだと信じていたものが、実はそうでなかったのかもしれないという不審と不安。この問題が私たちに与える影響は計り知れません。

巨大な国である中国の急速な発展を真横にしながら、政治と経済と歴史と宗教が誰にも理解できないほど複雑なバランスで絡み合い、さらにインターネットやスーパーコンピュターが時代の速度をどんどん加速させて行きます。そんな時代の激流の中で、私たちは人生をどのように組み立てていけばいいのか。今後は何を目標に何に価値を見出していけばいいのか。
このような「根源的な問い」が露出してくるのも、今の日本が持つ問題の根の深さではないかと思います。

仏教的な言い方をすれば、「意味があるかもしれないし、無いかもしれない人の一生」というものに向き合おうとするとき、私たちに必要なものは、まずは時間です。こんな豪速の時代に私たちに許される、この種の問いに向き合う時間は、いったいどこにあるのでしょうか。

私は思います。きっと、立ち止まったり休憩したりしながらぼちぼち歩くことで、ようやく答えに近づくことのできる深い問いだと。
そして、こういった問いに答えを求める姿なくして、私たちの社会が持つ重い病を根源から修復することは不可能だと。
さらに、私の師であるイタリアという国は、彼らの歴史の中で幾度もこの種の問いに向き合ってきた国ではないのか?と感じています。私たちの国の病を治す薬が、あの国にはきっとある。そんな期待を胸に来年イタリアへ勉強に行く予定です。

何かを見つける為に、何かを感じる為に...

2009.12.08

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最近ケーキ作りしています

 最近、時間のあるときには家内と夕食後ケーキ作りをやっています。家内がスポンジケーキを作って、私はデコレーションの担当。
写真が今晩作ったやつです。(アップルケーキ)
我ながらまあまあの出来。

でも、自分たちで作れば作るほど、ケーキ職人さんってやっぱり凄い!!って思います。やっぱり人を感動させたり、美味しいって思ってもらえたりする仕事って素敵だな~と思います。

自分も、物づくりの仕事なので、私が担当させて頂いた方々には少しでも多くの感動を味わってもらいたいって。ケーキ作り一つからもこんな風なことを学べたりします。

仕立て屋として、仕立ての技術を可能な限り高めるという研究は、仕立て屋としての軸でありますからこれはどんな時も手放せないテーマです。これが無くなっちゃってはもう終わり。

でも、絶対それだけじゃ駄目って思うんです。
技術だけでは人を感動させたり、喜んでもらえることって難しい。

人の人生ってやっぱりドラマなんだと思います。
技術の中に、または技術の周りに、いかなるドラマを肉付けしていくかが、人の心に届くか届かないかに関わってくるのではないかと。

だから仕立て屋は、生地や型紙の前に座っているだけでは絶対にダメ。
仕立て屋としての技術向上を軸に持ちながら、世界中を旅して、あらゆるジャンルに精通して、多くの感性と価値観を持てるように学び続けることなんだと思います。

なかなか一足飛びには行きませんが、少しずつでも何かを重ねていきたいと思っています。

2009.12.06

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アルペジオ

 今年は、無謀な挑戦と理解していながら、思い切ってアコースティックギターを購入しました。人生で初めてのギター。35歳にして初めてのギターです。時間がある時にYouTubeで初心者レッスンの動画を見ながらポロンポロンってやってます。本当にこれでいいのかな~?っていろんな疑問を持ちながら、指先地獄の旅であります。指先地獄というのは、とにかくギターって指が痛いんです。慣れてくると指の皮が固くなってくるんだそうです。でも実はこれが私には難点なんですよね。私の仕事って結構「指」って重要なんです。生地のクオリティーなど指先で触りながら判断しますから。だからほどほどにしなくてはいけません。

そうそう、皆さま「アルペジオ」ってご存知ですか?ギターの弾き方の名前なんですが、左でコードを押さえて、右手は指で弾く方法です。いわゆるピックを使わないわけです。これがかっこいいんですよね~。なんだかノスタルジックで。イタリアのトスカーナでアルペジオでギター弾けたら気持ちいいだろうな~。さてそんなことが死ぬまでに一度でも達成できるでしょうか。

もう少し私たちの生活を原始的に戻すことで、もっと生きやすく活力ある社会になると思っています。スローライフを提案します。

2009.12.03

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スローライフの提唱

 写真は古い電車の車内。私たちは生活を便利に快適に使いやすくと進化させてきました。でも、この写真になんとなく癒されるのはなぜでしょうか。私たちは本当に進化しているのでしょうか。

この車内は、木の香りがするでしょうね。人が歩けば木の床を踏む音もするでしょう。この電車は走行中もけっこう音が大きいでしょうね。

私たちは静かなほうが、無臭のほうが本当に快適なのでしょうか。

匂いや音を私たちの生活からどんどんと消していくことで、私たちが生きているという実感、生きる喜びを味わえなくしていると感じます。

私の大好きなイタリアでは、いろんな音や匂いがします。あの匂いや音を聞くと、ああ今年もイタリアへ来たな~と思うのです。街や年によって匂いが違い、音が違います。合理化という名の下、コスト削減という名の下、日本の街はどの駅に降りても同じ景色です。どこにでもある日本中同じ規格のコンビニ。グループ企業経営の飲み屋。同じメニューに同じ価格。ちょっと寂しい。

もう少し私たちの生活を原始的に戻すことで、もっと生きやすく活力ある社会になると思っています。スローライフを提案します。

2009.12.03

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学び

 「人はなぜに生まれ、そして死んでいくのか。」
永遠のテーマであります。
何千年にも渡り、今尚この問いに向き合っている人類。
「人の一生」という、刹那な時間に私たちは何を見出せるのでしょうか。

仏教では、人生は苦役である。
人が生きていくということは、苦しいことである。と説きました。
そして「業」カルマを説き、前世での行いがこの度の人生を反映し、この度の人生のあり方が来世に反映されると説きました。

キリスト教では、人が生まれてから死ぬまでのストーリーは、神によって予め決まっていると説きました。

その後、哲学が生まれ宗教とは一線を引くポジションで同じような問いに向き合い、想像力を広げそして深めて行きました。

さまざまな時代を超え、それぞれの時代に一定の役割を果たしながら形を変え色を変えながら私たちの心の世界に向き合ってきた宗教と哲学。

嵐のように私たちに襲ってくる日々の情報を処理し、さらに自分の人生に向き合う時間を取るなんて、今の時代では、まさに二階から目薬のように困難なことなのかもしれません。

しかし、そんな時間を持つことなしに、私たちが「生きているという事に深く実感し、生きていくということはこういう事なのかな~。」という境地にたどりつくことは不可能だと思います。

さまざまなリスクを回避したいと多くの人が望んでいる現代、私たちは先人達が格闘の末手に入れた知恵の中に学び、広い視野を収め、物の本質を見抜く目を養うことこそ、私たちにとっての救いに通じると感じています。

「幸せとは何か。」

そんな答えの一端を探す旅、
私は仕立て屋という職業を軸に皆さまと向き合って参りたいと思っています。

2009.11.25

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激流の中で

 日本は確実に歴史的転換期を迎えていると思います。GDPが中国に抜かれることで世界第2位の経済大国という地位を来年から失います。これからの日本のビジョンは政権が変ったあとも、まだまだ全体像は見えてきません。世界では人口増加による食糧争奪戦争が始まっており、石油があと30年で枯れると言われる中、エネルギー問題が年々露出してきます。今までの10年と、これからの10年は何もかも世界の常識が変化するでしょう。

そんな時代を迎え私たちは何を信じ、何を目指して生きてゆけばよいのでしょうか。私は哲学に耳を傾け、歴史に学ぶことが最重要課題だと考えています。時代が大きく変わる時、目先の荒波に振り回されない為に私たちのそれぞれが、人としての根をしっかりとはることが大切です。

何の為に生き、何の為の社会なのか。日本のビジネスもグローバル化の激流が続いていますが、魂の入った哲学的な精神に裏付けされた物を生みだすことができれば必ず人の心を打ちます。物を生みだすとき、その生み出す力の源流がどこからくるものなのか?その思いが深ければ必ず人々を感動させることができると思うのです。

2009.11.12

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学ぶって楽しい。

 10月末~11月上旬にかけての2週間に渡る関東出張から関西に帰国し、早速型紙と向き合ったり生地屋へ走ったりする日々が続いています。

3日間ぶっ続けで何十時間も机に張りつき、風邪気味の家内にいろいろと手伝ってもらいながらの家内制手工業生活。しかし私はこの物づくりの現場に神聖な空気を感じています。実態あるものと向き合う、このなんともいえない臨場感。そしてお客様の体型や表情を思い出しながら、さらに良いものを作ってお客様に喜んでもらうんだという充実感。

今の時代、いろんなものが希薄に思える中、私は自分の仕事を通して人生のリアリズムをより濃いものにしようと企んでいるようでもあります。

3日間ぶっとうしでがんばったお陰で、今宵は好きな番組を録画しているものを少し見る時間ができました。肉体的には疲労がたまっていますが、やはり私の心をいやしてくれるのは芸術であり哲学です。録画している中でも「新日曜美術館」は私の大好きな番組の一つであります。あらゆる芸術家が自分の人生をかけて見出そうとした高み。人生を懸ける価値を芸術の中に見出そうとしたその軌跡がそこにあります。

一杯いっぱい頭の中に情報を詰め込んで、私は新しい可能性を模索し続けていきたいと思っています。仕立て屋という仕事を中心に、多くのご縁の中で「人生とは?」という問いにしっかりと向き合っていきたい。その答えを探し続ける行為こそ、生命の営みそのものだと仏教に学びました。学ぶって素敵です。わくわくします。今日も、私のわくわくナイトタイムはまだまだ続きます。

2009.11.11

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日本の病

 私は年間を通じて、多く人から悩み相談を受けます。これは私自身が多くの悩みや疑問と向き合う人生だからなのかもしれません。そんな悩みや疑問に答えを出す為に、私は本を読んだり、ネットサーフィンをしたりして、多くの情報を収集します。

最近素敵な仏教の本に出会いました。現代の生きにくい世の中について考察されている本です。「人は誰かに褒められたいと思う生き物である。」ということを前提に、今の世の中では社会と自分のつながりにおいて、だれかの役に立っている。という思いが希薄であると言っています。私はなんだかわかる気が致します。

最近の日本は「勝ち組」「負け組」などと、ただ資産を稼いだ人だけをもてはやす傾向が強くあります。しかし、なんとなく私たちは感じています。たぶん私たちの人生は、資産の大小にほとんど関係ない物差しで測られるべきだと。

私たちの多くは「家賃や食費、将来に対する貯蓄」の為にお金を稼ぎます。そしてそのお金儲けに日々翻弄されているだけの生活にうんざりしています。この本では、(お金儲けをするにしても、人から喜ばれるとか、なにか世の中の為になっていると信じれることでお金儲けすることが一番私たちの心の為に良い。)と書かれています。本当にその通りだと思います。

せっかく生まれてきたのだから、せっかく一度しかない人生なのだから。もっと焦らずに、もっとゆっくりと生きたいと。私たちの心は悲鳴を上げています。

しかし、なかなか最近の日本はゆっくりとさせてくれません。社会がどんどん私たちのお尻に鞭を入れてくる思いで一杯です。もうこれ以上走れないのに。もうこれ以上無理なのに。ますますお尻に鞭を入れられます。盲目のうちに走れるのはこれぐらいがもう限界なのはないでしょうか。

一年に3万人を超える自殺者がずっと続く日本。
「焦燥感と疲労に始まり⇒さらに孤独感と空虚⇒最終的に絶望感へと続く」
この日本の病は、私たちの世代「30代半ば」は、身に沁みてだれもが感じてる気が致します。

2009.11.04

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生きにくい社会

 今の日本は、日本の歴史上においても極めて生きにくい社会だといいます。実は私もこの意見には賛成です。今の若者がいじめなどが原因で自殺する状況に、団塊の世代の人々が「最近の若者は精神が弱い」という意見が多いようです。しかし、ある著名な仏教者は、団塊の世代が生きた時代と、現在の若者が生きてる時代は決定的に違うといいます。団塊の世代は、前だけを向いて生きてきた世代であり、足元を見て生きてきていない為に「生きる」という実感に希薄である。だからそいう意見になる。といっています。この仏教者の意見にも、私は大きな説得力があると感じています。

生きるということは、ただそれだけで苦しいことである。と説く仏教の姿。古くから受け継がれてきた東洋の哲学の中に、今の日本社会を生きていくテクニックと、生き方をサポートしてくれる道しるべがある気がしています。

文化や芸術よりも合理的であること。手間を省き、可能な限り簡略化すること。同じ結果をもたらすなら、より合理的でコストがかからない手法をとるべきだ。ボタン一つでなんでも手に入るほうが便利でいい。とにかくなんでも面倒くさくない方がいい。

そんな価値観が加速すればするほど、私たちが暮らすのに一見便利な手法を追いかければ追いかけるほど、結果私たちが極めて生きにくい社会ができてしまいました。

どこかでこの空気を見直して、方向を修正しなければ、今に恐ろしいことが起こると思います。

手間や苦労は、私たちの人生に近く、
手間や苦労を通じて、私たちの心が気付かないところで癒されているのではないでしょうか。

ファーストフード的人生観を捨て、今私たちはスローライフを求めなくてはならない時代に来ていると思います。

2009.10.17

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少しずつ変えていきたい

 最近日本人の良い所がどんどん失われ続けていると言います。たとえば義理固さや、誠実さなど。そう言った日本人の義理固さや誠実さという特性が、今まで世界に対しての日本の信用や価値に繋がって来たのは事実だと思います。イタリアへ行っても、時々目上のイタリア人から日本人はこの10年20年で大きく変った。って言われます。昔の日本人は、今よりもっともっとマナーが良く、勤勉で誠実だったと。そんな話を聞く度にいつも寂しい思いを致します。

日本はたしかに物質的には豊かになりました。しかし精神文化は?と聞かれると。。。
経済ばかりに一生懸命になりすぎて、その他の事にはあまりにも盲目になってしまったのでしょうか。みんな生活費を稼ぐことに精一杯で、経済以外のことに価値を見出す時間や余裕の無い姿が目立つ気が致します。もう少し社会全体にゆとりがある雰囲気が作れないものでしょうか。そうでないと「世界第2位の経済大国」ってなんの自慢にもならないですよね。
私達の意識を少しずつ変えていくことで、これからの日本を少しずつでいいから変えていきたいと思います。

2009.10.06

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真実と正義

 10代後半から20代全般にかけて、私は「真実」という言葉が好きでした。しかし最近は「真実」という言葉には、あまりこだわらないようになってきました。なぜなら真実はあるのかないのかのわからない物であり、もしあったとしてもそれを見つけることで何か変るのか?ということに期待を持たなくなってきたからです。物事には裏と表があり、深く掘ればどこまでも深く、掘り下げれば掘り下げるほど抽象的な世界へと引きづり込まれます。「正義」という概念もしかりで、間逆の世界からみても正義で、まるで鏡の世界のようです。真実や正義という言葉にこだわるのではなく、むしろこういった言葉に対するこだわりをなくすことで、より広い視野を手に入れることができる気がしています。

2009.10.04

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「自由である」ということ

 前回の日記に記した、「3年稽古」という言葉は、今後の道しるべを探す時の、私にとって便利なアイテムになりそうです。自らの志を測る天秤の軸として以外に太く、安定感があると感じています。

今日は「自由」という言葉について考えてみたいと思います。「自由である」ということはどういう意味でしょうか。普段なかなかこういう問いに向き合うことはありませんが、重要な言葉です。知識を増やし視野を広げ、経験を増やすことで自由度は増すように思いますが、地位や立場を得ることで自由度が減少することも考えられます。しかし、地位や立場を得ることで、さらに自由度を求める行為こそ健全な気も致します。

あらゆる種類の自由がありますが、私は自分の人生を自ら選択する自由だけはいつまでも守り続けたいと思っています。さらに自らが自由であることを守るためには、周囲の人々の思いにも自由を認めることが重要です。現在鳩山総理が「友愛」というキーワードを掲げていますが、この「友愛」という言葉は、世界的な国際感覚を持つ人々の間では、深く理解できる言葉であり精神だと言います。それぞれの国が自由であることの困難さは歴史が証明しています。私たちの明日がもっと自由でありますように。。。私たち一人一人が美しく心豊かな未来を抱けるような美意識を探し求め続けることに、その鍵があると信じています。

2009.09.29

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インスピレーションに響く言葉

 相撲の世界で「3年稽古」という言葉があるようです。これは3年先に強くなる為の稽古をしろという言葉で、「初心忘るべからず」につながる言葉として使われているようです。

今の私にとって強いインスピレーションがある言葉でした。しばらくこのキーワードを頭の中でぐるぐると回してみたいと思っています。

2009.09.25

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「感じる」という本能的な部分

 来年のイタリア出張はローマから入ることが決まりました。私にとってローマもまた特別な場所です。バチカンのサンピエトロ大聖堂、コロッセオ。偉大すぎてまだまだ臨場感を味わうこともできない。それが本心です。

「仕事に情熱を注ぐ」大変重要なことだと私は考えています。私は自分が感動したり情熱を燃やしたりする量の「10分の1」しかお客様に伝わらないと考えています。しかしこの考えは逆に10分の1は必ず伝わるのだ。という積極的な気持ちでもあります。

情熱とは「熱」であるために、冷めたり燃えたりします。燃えているときは問題ないのですが、問題は冷めた時の対処方法です。私は映画を見たり、本を読んだり、イタリア出張などで情熱の炎を再度燃やすように努力しますが、なかなか点火できない時もあります。でも、これは仕方のないことだと思っています。そんな時もあるのだと思います。さらにその冷めた情熱が数か月、いや数年続く人もあるのではないでしょうか。大切なのは、理性的な部分と本能的な部分のバランスだと考えています。

理性的な部分では、さまざまな作戦を考え実行していく中で効率的に努力すること。そして大切なのは本能的な部分です。ここに人間としての可能性の多くが隠されていると思っています。理屈なしに美味しいものは美味しいし、美しいものは美しい。分析したり戦術を編み出したりすることも大切だが、シンプルにただ「感じる」ということがどれだけ大切かをもっと真剣に考えるべきだと思います。

2009.09.18

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「ものさし」というもの。

 写真はフィレンツェにある大聖堂の一部。あの荘厳な大聖堂の魅力は細部に渡る完璧さから来るのだということを教えられます。

戦争も経済も、鍵はいつの時代も「情報」だといいます。世界は常に動いています。目をつぶってどこまで「今」そして「近未来」をリアルに想像できるか。情報をどこからどのように収集するのか、そしていかにその情報を精査し次の一手につなげていくか。一番重要なのは、その情報精査の「基準」。「ものさし」だと思います。この「ものさし」の重要度は企業であっても、個人であっても同じこと。自分を知り、自分にとって何が可能で、重要なのか。それがブレると意味がなくなってしまいます。その「ものさし」が確立できると、変化も恐れることはなくなるのだと思います。時代は流れているのであって、いかなる分野でも変化は必然。その変化の中から真実を見出していく。それが私たちの課題であると思います。

2009.09.16

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芯を築く

 人生って簡単?それとも困難?

私は仕立て屋としての人生を10年目にしてようやく、「私は仕立て屋です」と言えるようになった気がしています。どんな仕事でも初めはみんな素人。技術の習得ももちろんですが、やっぱり10年という月日が必要だったのは、技術の向上だけではありません。仕立て屋としての哲学といいますか、心構え。自分と仕立て屋という仕事の間に生まれる何ともいえない関係が、ある一定の色を持ってきた時。その仕事が板についてくる時期なのだと思います。

いかなる仕事を飯の種にするのか。これが簡単な人もいれば、極めて困難な人もいるでしょう。私は、仕事を単なる「飯の種」という次元で処理するのはあまりにも寂しいと感じます。「志」という言葉は個人的にあまり好きではありませんが、仕事もプライベートも、人生における自分なりの「芯」みたいなものを築きあげて行ければと思っています。

2009.09.10

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BLOGについて

 写真(ナポリの卵城と言われている要塞の城壁です。ほんと美しい。日本のお城の美しさも負けていませんけどね。)

最近、私のBLOGを日頃ご覧頂いている、私と直接ご縁のない方々からメールを下さったり、展示会などで同業者の方が、「貴方のBLOGいつも拝見しています。」などとお声をかけて下さったりします。

私にとってBLOGは、皆さまへのご挨拶代わりに。という意味ももちろんですが、自分にとっても、その時その時の私をメモリアルする大切な場所だとも考えています。BLOGを書くときって、忙しすぎてもだめ。いろんな良質なイメージを湧きあがらせながら、前向きで幸せな気分で書かないといい文章になりません。文字って結構「力」を持ちますよね。これからも素敵なBLOGをかけるように良質な時間を重ねて参りたいと思います。

2009.08.23

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今年の秋冬にかける意気込み

 イタリア流仕立て屋という看板を背負って、この仕事をしていますが、私にとってイタリア流というのはなにも仕事だけではありません。プライベートもイタリア流を目指したいと思って一生懸命過ごしています。だから7月8月は、本当はバカンスをとって、仕事を一切しないのがイタリア流。といいましても、さすがに日本ではそういうわけにもいかず、今年は仕事以外にも選挙の手伝いがあったりと何かと大変な夏でもあります。
私は太りすぎで、夏は動くのが大変ということもあって、なかなか仕事に集中するのが難しいのですが、今年は冷夏ということもあってか、例年よりましです。今宵は虫の音が鳴き、すっごく涼しい秋の気配。仕立て屋という仕事ってやっぱり「秋冬」が本番なんですよね。こんな涼しい夜は、なんだか体がうずきます。今年の秋冬は飛びっきりのスーツを作ってやるぞ!!と、力がみなぎってきます。百年に一度の不景気とか言っていますが、こんな時期だからこそ最高級の生地を使って、浮世離れしたスーツを作る。そんな秋冬にしたいと思っています。

どれだけ本物で、どれだけ素晴らしいものが、どれだけ安くできて、如何にかっこいいものに仕上がるか。今年の秋冬も世界レベルで、イタリアのトップクラスの連中達と対決していく秋冬にしたいと思っています。

2009.08.21

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楽しむということ

 写真:息子が大のトマト好きなので、我が家ではトマトを栽培しています。

ベルリンの世界陸上&衆議院選挙で2009年日本の夏は熱い。日本は今、歴史上の転換期に来ているのかも知れません。こういった転換期は私たちの環境が大きく変化する時でもあります。でも重要なことは、いくら環境が変化しても揺るがない価値観を持つことだと思っています。視野を広げることにその鍵が隠されていると私は信じています。日本の常識は世界の非常識と言われます。たった2時間飛行機で海を越えるだけで、まったく違う価値観で動く世界があります。地球の裏側では、日本と中国の区別がまったく付かない人々がたくさん暮らしています。少しでも大きな視野を得て、豊かな想像力で見つめる目を得ることで、私たちの人生はきっとすばらしいものになる。

どんなに時代が変化しても、一番大切なのは人生を楽しむということ。こんな平和な時代に生まれたのだから。

2009.08.10

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「ハッピーアワー」ってご存じ?

 イタリアには「ハッピーアワー」というかわいいシステムがあります。小さなバールや、ホテルのバーが夕方から行うシステム。内容は、小さなバイキング+ドリンク一杯。写真がそれです。お皿に何杯でもかわいい料理を取ってきては、テーブルで頂きます。食後にコーヒーで締めくくれば、もう気分は最高です。

イタリアの夕食は、出張時のおよそ半分はこういったハッピーアワーを利用します。料金はだいたい5ユーロ程度、最後の締めの珈琲と合わせてもおよそ日本円で850円程度。素敵でしょ!!イタリアは何をしていても楽しい!!

2009.07.24

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不景気なんかに負けるな!!

 世間ではどうやら不景気という風が吹いているようです。でも不思議とちゃんと世の中は変りなく動いているんですよね。社会のグローバル化といってしばらく経ちますが、日本は島国なので多くの日本人が海外の風を実感する機会はまだまだ少ないのではないでしょうか。

世界第2位の経済大国日本。不景気不景気といっても、これぐらいの不景気感って世界ではあたりまえです。まだまだ日本は贅沢していますよ。でも贅沢しているって気がしないのが日本の悪いところだと思います。

イタリアで感じるあの160円エスプレッソ一杯の贅沢な思いは、日本では絶対に感じることができません。イタリアの街を散歩しているだけで幸せだと感じるあの思いは、現代日本の「美意識ゼロ」の街並みからはどうしても得ることができません。

先日、ロンドン在住の研究職の方とのご縁を頂きました。日本に対する残念な思いが、大きくシンクロしました。日本人が持つ文化や美意識のポテンシャルの高さを今一度見直し、日本人としての自信を取り戻し、こんな不景気なんて涼しい顔で立ち向かえるほどの、もっと文化的な鎧を身にまとうべきだと意見が一致しました。

経済的なアップダウンが、心の世界のアップダウンと同じになってしまうほど、つまらないことはないと思います。ここ数十年、万年不景気のイタリア人があれだけ毎日素晴らしい笑顔で生きているのをみると、そう思わざるを得ないのです。

2009.06.20

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メディチ家が昔住んでいた家、ベッキオ宮殿

写真はベッキオ宮殿内部の大広間(フィレンツェ)。映画ハンニバルにも登場する有名な場所です。右の壁面にある絵の大きさがわかりますでしょうか。人の大きさと比べてご覧ください。一枚が4畳半以上あると思われます。

日本も小学校ではプール開き。いよいよ夏ですね。イタリアでは今頃バカンスの準備が始まり、子供たちとお母さんはワクワクしながら大忙しのころです。我が家もそー麺やざる蕎麦が食卓に頻繁に現れるようになりました。今年の夏も大いに満喫するために、いろんな準備をしていかなくては!!

2009.06.13

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夜のオープンテラス

写真はフィレンツェのベッキオ宮殿前にあるオープンテラスです。初夏の夜風に当たりながらオープンテラスでの夕食って最高なんですよね。

フィレンツェ中心街でも、ここのようにド真ん中のテラスは観光客向けなので、やはり値段はお高いです。だから私は少し離れた場所、観光客がいないところで夕食をとるようにしています。美味しくて安い所を見つけると嬉しいのは誰も同じですよね。

昨年は、フィレンツェの大きな市場のすぐ近くで、食べ放題(簡単なバイキング)で、しかもワンドリンクがついて、なんと「6ユーロ」ってのを見つけました。1ユーロ=130円として、780円。ここは毎日通いました。

旅の楽しみで重要なのはやはり「食」ですよね。
私は日常でも「食」は重要です。人生を楽しむ為の大きなキーワードですから。

今日の晩御飯は、私の手作りのトマトソースパスタでした。まあまあうまくできました。オリーブオイルとニンニクでパスタを少し炒めてから、茄子と一緒に煮込んだトマトソースと混ぜたのがうまくいきました。

2009.06.11

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種を育てるには

写真はベネツィアの有名な建築物「カ・ドーロ」。この邸宅は1428年から1430年にかけ、ヴェネツィア貴族コンタリーニ家のために建てられたかなり古い邸宅である。コンタリーニ家は1043年から1676年までの間に8人のヴェネツィア元首(ドージェ)を輩出している貴族の名門である。この建物はゴシック様式なのだが、ベネツィアはビサンティン建築の影響を受ける。このカ・ドーロは、ベネツィアでも最も美し建築物の一つとしてあげられる。

からっと晴れた初夏に、このような建築物に囲まれた場所で、何にも捕らわれることなく時間を過ごせたらどんなでしょうね。そんなことを想像するだけで頭の中が自由になります。どんなに忙しくても、忙しいのは体だけにしたいものです。頭の中はいつも自由でありたい。そうでないと、素敵な発想は生まれませんし、いざとなったときに対応が遅れます。有意義な発想を次々と生み出す為には、頭の中に良質な種をたくさん埋め込むことが必要です。その良質な種を大きく実らせる為には、大きく広がる「想像力の土」と、それを楽しもうとする「ゆとりある心の水」が必要だと思っています。

2009.06.11

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梅雨ですね

写真はナポリの卵城という有名な要塞です。

梅雨というにふさわしく、よく雨が降ります。これだけ雨が続くと雨の日の楽しみ方。みたいなものも考える必要がありそうですね。私はようやく東京出張から帰国し、普段のデスクワークに戻ることができました。私は自宅のアトリエでのデスクワークが大好きです。特に夜、家族が寝静まってからの一人の時間は最高です。何時間でも椅子に座って居られます。型紙に向きあったり、お客様にお手紙を書いたりと。今、窓から雨の音が聞こえます。なかなか良いBGMです。

2009.06.10

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豊かな時間の作り方

写真はベネツィアの日常。

なんでもない日常に幸せを感じながら今日も時を過ごしています。心静かに本を読むのもよし。DVDを借りて素敵な映画に時を刻むもよし。お金を使わなくても、工夫次第でいくらでも豊に時を刻むことができます。

私の今日の映画は、「小説家をみつけたら」でした。ショーン・コネリー演じる伝説の作家と、文才豊かな黒人の男の子とのお話。

2009.06.05

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ナポリのガッレリア

 ガッレリアとは、日本で言う商店街のアーケードです。イタリアではミラノのガッレリアが有名ですが、ナポリのガッレリアもいいんですよね。古いって感じがなんともノスタルジックで。

そうそう、今年から当店はネクタイをたくさん扱うようになりました。扱うアイテムが増えるってすごく楽しいし、嬉しいことでいっぱいです。おかげさまで大好評を頂いていることも皆様に心から御礼申し上げたいことです。本当にありがとうございます。

さて、[ネクタイの次はどの分野に進出しましょうか?]
今、胸をワクワクさせながら日々そんなことを考えています。

そこで、やっぱり次は「鞄」かな~!!と思っています。
昔から私は大の鞄好き。鞄って何か自分自身の大切な分身っていうか。
すごくロマンみたいなものを感じるんですよね。
思いついたらすぐ動きたくなるのがHAMADA流。

早速、フィレンツェやミラノのスタッフにお願いして調査してもらっています。
イタリアの大きな展示会などに足を運んで、センスの良いのを仕入!!ってのも
是非体験してみたいことですが、やっぱり私の狙うところは「オリジナル」ですよね。

フィレンツェあたりで小さな工房をやっている、腕のいいカバン職人さんを見つけて。
私のイメージする鞄を一つ一つ形にしてみたい。

「人生は、所詮死ぬまでの暇つぶし。」という言葉を大切にしている私は、
日々面白いこと、楽しいことを考えて、その事にむけて気楽な全力投球!!
肩の力をぬいて、意味ある豊かな人生にしたいと日々挑戦しています。

当店だけの、当店だからできる、スーパーオシャレな鞄作り!!
もう夢は膨らむばかりです。

もし、実現しなくてもいいんです。
私の大切にしている言葉の中で、もう一つこんなのがあります。
「人は、何をしたかが重要ではなくて、何をしようとしたかが重要なのだ。」

実現しなくてもいい。
意味ある何かに向かって歩いていたい。

さあ見つかれ!!私の夢の鞄工房!!

2009.06.03

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夏のベニス

 夏の夜のベニスには、バイオリンやアコーディオンの音色が眩いばかりに響きわたります。
仕事も時間も完全に忘れて、ただその空間を受け入れるだけ。日本人がその境地に至るには、「イタリア一周7日間の旅」のようなパッケージ旅行では絶対に無理。ツアーコンダクターの旗が気になってそれどころじゃないんですよね。旅はやっぱり個人旅行でないと。そして一か所に1週間は滞在しないと肩の力が抜けません。日本人って本当にお疲れ様だと思います。

でも毎日仕事に追い込まれている場合じゃないですよね。気がついたら、あっという間に一年が過ぎてしまいます。もっと遊ばないと。ちゃんと意味のある仕事をするためにも、もっと遊び心を持たないとっていつも自分に言い聞かせています。

2009.05.27

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ベネツィアのよくある風景

 ベネツィアという所は、すべてが舞台となりうる場所です。すべてが絵になります。だから写真のような光景は大変よくあること。いったいこれが劇なのか、映画の撮影なのか、何かのお祭りなのか全くわかりませんが、こんな仮装行列をよく見かけます。ベネツィアのきらびやかな衣装を着て、昔の貴族のように歌って踊って、シャンパン飲んでというパーティーを一度やってみたいですね!!

2009.05.26

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丘の上のオープンテラス

 イタリアの高級住宅地をバスで登っていくと、フィレンツェを一望できる丘の上にオープンカフェがあります。家族やカップルで週末のディナーの後来るところですね。もちろんお昼もやっています。この時は7月だったので、日中は肌が焦げるぐらいの日差し。クラーの普及率が悪いイタリアでは、お年寄りを中止に熱射病で死者がでるほどの暑さ。でも、夕方から夜になるとすごしやすくなります。丘の上なので風も気持ちよく、日本のように湿度も高くありません。こんなところでディナー。皆さんいかがですか?

2009.05.23

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ナポリの海岸で自由になれたこと。

 ナポリの古いお城の装飾です。手や足がなくなっていても存在感十分です。

ナポリはトラットリア(リストランテより気軽なお店)などで食事をしていると、薔薇の花束を抱えた小さな男の子が、お店に入ってきて一つ一つのテーブルに売りに来たりします。ギターや、バイオリンの弾き語りも珍しくありません。歌はもちろんカンツォーネ。(サンタ~ル・チ~ア~!!)ってね。すさまじい限りのノスタルジック感につつまれます。

ナポリという街は、私たち日本人の心を自由にしてくれます。ああ、こんな生き方もあるんだ。こんな生活もありなんだって。以前、日本に帰国するまでの時間つぶしに、何もすることがなくってナポリへ行ったことがあります。メルジェッリーナという海岸線に3日間ほど朝から晩まで座って海を眺めていました。あの時ほど自由になれた時はありません。私たち日本人はつい型にはまりがち。こうでなくてはいけない、いやこうあるべきだってね。心を解放するって難しいですね。

2009.05.22

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ナポリはラテン系

 ちょっと危険なナポリシリーズを、もう少し続けることにしましょう。ナポリは、サンタルチア港という海に恵まれた街。だから市場にも新鮮な海鮮がズラーっと並びます。そしてなんといってもナポリといえば「ピッザ」。街の至る所にピッザの窯を見かけます。やはりここのピッザは値打ちがあります。この写真は、海岸線のトラットリアのオープンテラス。ナポリのブルスケッタは肩の力が抜けてていいでしょ!!これこそ本場って感じですよね。

海岸線には老若男女のカップルが毎日のように散歩したり、道のど真ん中で急に熱いキスを始めたりと開放的です。イタリア人に急に話しかけられたり、目が合っただけでウインクされたりと、イタリアってラテン系だったんだと実感するのもナポリかもしれません。

2009.05.21

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ナポリという、ちょっと危険な街

イタリアといえばカンツォーネ。オーソレミオに代表されるイタリア民謡とは、ほとんどがナポリ民謡です。ナポリはナポリ語というイタリア語の方言のような独自の言語があり、通常のイタリアとは似ているのですが、ちょっと違います。オーソレミオもナポリ語です。標準語の人とナポリの人は意思疎通がうまくいかない時があると言います。日本の標準語と青森弁や沖縄弁の違いよりはましだと個人的には思っていますが。

今まで紹介してきた北イタリアとは、全く違う国と言っていいのがナポリという街です。ここに来ると、なんだかようやくイタリアという国を知った気分にさせられます。まず時間の速度が違います。南にくればくるほどゆるやかになります。そしてここまで南に来ると、もう観光客が話す英語は聞こえなくなり、完全イタリア語一色!!お店やホテルも英語が通じないところが多くなります。ナポリといえば「スリ」が多いことで有名です。女性はイヤリングやネックレスも引きちぎられるケースもある、ちょっと危険な街。だからこの地に慣れるまで少し時間がかかります。でもこの街に慣れてしまったら、あなたはもうこの街をふるさと「故郷」と呼ぶでしょう。ナポリ人達の愛は、胸の一番中心にだけ響くように設計されていますから。。。

2009.05.20

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ベネツィアは夜の散歩がお勧め

仕事に関係無いのに、何かと訪れることの多いのがベネツィア。ベネツィアの夜は特に美しいです。雨が降ると濡れた石畳が鏡のようになり、街の明かりを反射させてその美しさは、まるで宝石箱をひっくり返したようです。ベネツィア観光のお勧めは夜の散歩です。いろんなお店のウィンドーショッピングをしながら1時間ほどメインストリートを比較的安全に楽しく歩くことができます。歩き疲れると、帰りは水上タクシーが24時間巡回しているので近くの停留所から乗って自分のホテルの近くの停留所まで。今度は水上からの景色を楽しみながら夜のクルーズを楽しめます。
ベネツィアでのNGは「男の一人旅」です。ベネツィアは、間違っても男一人で行くところではありません。
冬行かれる方は防寒の用意をしっかりと!!歩くと頬から血が出そうな氷点下があります。

ちなみにこの写真、今年の一月ほんとに私が撮ったんですよ。最近のデジカメの夜景モードは凄いですね。

2009.05.19

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私が使うフィレンツェのホテル

私がフィレンツェ出張時に宿泊しているのは、このようなホテルです。日本人はほとんど泊まらないイタリア語しか通じないホテルです。およそ一泊45ユーロ(1ユーロ平均130円として約6000円)。フィレンツェ中心街のホテルは貴族の屋敷を改築して(ただ仕切っただけ)作られたホテルが多く、天井が高くさらに天井にはフレスコ画が残されたものも多いです。ここのホテルも天井に、きわめて中途半端なフレスコ画が残されていますでしょ。几帳面な日本人ならこんな残し方はしませんよね。でも、この中途半端さがイタリアで私が癒される原因の一つなんです。

飾られている絵も、もちろんレプリカながらもイタリアにまつわる絵画が多く、ホテルの経営者のセンスが光ります。ティッツィアーノやラファエロをはじめ、イタリア・ルネサンスを代表する絵画も多いですね。やっぱりこの風景の中でこういった絵画を見ると最高です。
茶人のお茶を茶室で頂くということですからね。

2009.05.19

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ヴェッキオ宮殿

フィレンツェの代表的な宮殿の一つ。ヨーロッパの絢爛豪華な宮殿の中では比較的地味に見える宮殿ですが、現在も市役所の庁舎として実際に使われているということだからすごいですよね。フィレンツェの大パトロン「メディチ家」もピッティー宮殿に移るまで一時的に住居としたとか。住居!!ってそんな。2007年5月、イタリア文化庁は、レオナルド・ダ・ヴィンチの幻の壁画「アンギアーリの戦い」が、このヴェッキオ宮殿内の500人大広間にあるヴァザーリの壁画の裏側に隠されていると発表した。映画「ハンニバル」にも登場したりと、とにかく話題はつきない。

2009.05.17

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愛すべき路地

写真は、フィレンツェのどこにでもある小さな路地。

イタリア出張へ行くと、このような何でもない路地の写真を必ず撮って帰るようにしています。出張とはいえ、私にとっては半分仕事で、もう半分は旅であります。旅の写真はつい絢爛豪華な建造物や観光モードの写真ばかりになってしまいがちです。それは非日常の景色ともいえ、帰国後見返しても、こんなところに行ったな~と思うだけのことが多いのです。

でも私は旅を通じて、旅先の日常を肌で感じ、香を感じ、空気を感じることで、帰国後自らの日常生活に何らかの影響を与えたいと思って旅をしています。だから旅先ではその場所その場所の日常をとらえる写真を好んで撮りますし、観光客が行かないような生活空間へどんどん足を進めるのが大好きです。

「時を浪費するなかれ、人生は時よりなれば」
「大海も一滴の雫から」

どちらも私の好きな一節です。
人生は「日常」の積み重ねだということを教えられる言葉に感じています。
絢爛豪華な夢を追いかけるのも大切なことなのかもしれませんが、
私は私の等身大である、このような路地と向き合うことで、自分自身の日常を模索していきたいと思っています。

2009.05.16

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癒しの空間

写真は、フィレンツェにある私の行きつけのBAR店内。イタリア出張でのフィレンツェ滞在時は、毎晩ここで食後のエスプレッソ(160円程)やカフェラテ(180円程)を頂きます。午後7時~8時の日課なのです。特に力の入っていないイスと机ですが、ちゃんとテーブルクロスがかけてあり、天井の高さは日本の2階ぶち抜きぐらいあると思います。私のお気に入りの癒しの空間です。

癒されるということは、どんな意味をもつのでしょうか。日本のこじゃれたカフェでお茶をすると、私は妙に肩に力が入ってしまってあまり癒されないんです。ホテルのバーなどもそうです。なんだかお店自体がやけに力を入れ過ぎている気がして。私の生まれ育ちの感性がそう感じるだけかもしれませんが。

不景気不景気といわれながらも、東京にはどんどんビルが建って行きます。ビルって本当に日本人にとってまだ必要なのでしょうか?最近の日本は、へんなところにやけに力が入りすぎている気がしてなりません。

2009.05.10

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フィレンツェの八百屋と日本の教育

ここは、フィレンツェの市場にある八百屋さんです。どうですか?イタリアって健康的な食卓だと思いませんか?形が不揃いであることの「美」。まさに人間の個性を尊重した健康美そのものです。茄子もピーマンも芋もブロッコリも、太陽の光を十分に浴びて活力に漲っています。日本では健康ブームとか、子供には野菜を取らせなさいとか、TVなどで日々うるさいくせに、スーパーには「高価で規律正しく同じサイズで貧弱な野菜」が山積みです。イタリアの貴族たちと交流の深い日本の主婦がこんなこと言っていました。「市場に行くとその国の教育が分かる」と。日本の教育は、日本のスーパーの野菜と同じように。高額な教育費で、同じサイズの貧弱な大人を育ててるってことでしょうか。

2009.05.09

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ベネツィアの大聖堂

サン・マルコ大聖堂(Basilica di San Marco)は、福音記者マルコにささげられた、イタリアのヴェネト州の州都ヴェネツィアで最も有名な大聖堂です。建物内は、黄金に煌く壁や天井と、祭壇には2,000個もの眩い宝石が埋め込まれた黄金の衝立があります。由緒正しいビザンティン建築だそうで、たしかにミラノやフィレンツェのゴシック様式とは全く違った佇まいと、全く違った空気感を持っています。

イタリア人は、こういった建物が街中に今も沢山存在していて、古くから引き継がれる歴史や芸術、文化を常に肌で感じながら生活しています。朝になると教会の鐘の音が街中に響き渡り一日の始まりを告げます。夕刻になると再び鐘の音が。。。日本人も私たちの独自の歴史ある文化や芸術を取り戻したいものです。

2009.05.08

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フィレンツェの家具店

イタリアという国は日本とは違い、観光的財産を国の資源としているために、街並みは日本と違い変化しません。中世の街並みがそのまま残っているというのが国としての売りなのです。今回は、フィレンツェの中心街、骨董通りの家具店をご紹介します。

日本の家具屋さんと違って、見せ方が上手ですよね。一点一点のものがより引き立って見えます。これはデザインされたものをデザインされていないプラットホームに展示するイタリアお得意の展示法です。

しかし見てください。どれもこれも本当に美しく、私たちの眼を楽しませてくれます。こういった物を見ていると「装飾の意味」を考えさせられます。人間は物に装飾を与える地球上で唯一の生物です。人間が人間であることの意味の一つが「装飾」に隠されている気がしています。

2009.04.23

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ベネツィアの市場

今日の写真は、ベネツィアの市場です。ベネツィアはイタリアの中でも物価が高いので有名です。フィレンツェの倍くらいかも。。。

「代議士を囲む経済人の会」という会合に最近少し顔を出させて頂いています。さすが代議士を囲むだけあって経済人が一杯!!2時間くらいで代表取締役の名刺が片手一杯になります。そこで今回出会ったのはなんとジャーナリスト関係の方。新聞や雑誌の文章を書く方と、本や雑誌を出版するとき編集を担当したりする会社の社長様。いや~話は盛り上がりました。というか私一人盛り上がっていたというか。。。私は文章を書くのが好きで、いつの日か本を出版するのが夢です。だから今回の出会いはすごく興奮しました。会話も楽しく、出版業界の裏話などいろいろと聞かせて頂きました。無名の作家が本を出す時、初版4000部発行が相場で、初版8000部だと会社としても力を入れている本ということだそうです。書店に横になって並ぶ期間(いわゆる表紙が見えるように並べられている期間のこと)は1週間から2週間。売れなければ数日で縦に並べられてしまうという厳しい世界。10万部で大ヒット。100万部なんてうれたものなら家が建つそうです。印税にもいろんな種類があり、契約方法は無数に。自主出版という方法も今はかなり割安になっているそうですが、やぱっり出版会社が自分の本を出してくれるという奇跡を起こしたいものです。

夢を現実にするためにこつこつ準備して行きます。
5年以内には1冊出したいと思います。

2009.04.08

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スーパーのハムコーナー

イタリアのスーパーでは、このようなハムコーナーをしばしば見かけます。見かけるだけでなく当然私は買ってしまいます。旨いかって?当然です。何が旨いってハムの味がド~ンとするのです。日本のハムは皆さん是非商品を裏返して、原材料名の欄をご覧ください。恐ろしいほどの添加物です。あれは作られた味だということが一目瞭然です。イタリアのハムは無添加です。塩だけ。噛めば噛むほどってやつです。飲み込むのが惜しくなるくらい。いろんなハムを試しましたが私はやっぱり少し肉独特の臭みが少しだけ残るハムが好きですね。これがパンによく合うのです。あ~また食べたい~。

2009.04.06

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生地のお話

桜って日本の美意識の象徴的な花ですよね。たった1週間の為に日本中に植えられる桜。日本人の心意気というか精神性を桜に見るのでしょうか。桜の木から染色する材料が取れます。それは花が咲く前の桜の木の皮。花に色を送る直前の皮に色が溜まっているんですね。自然ってほんとにすごいと思います。

今日は生地のお話。毎年春夏シーズンと秋冬シーズンの2回に分けて生地が入荷します。今年も春夏の生地がほぼ入荷しました。そして当店としての今年のお勧めの生地を膨大な生地サンプルの中から選び上げていくのがちょうど今の時期なのです。

生地を見るって皆様が想像される以上にほんと難しい作業なんです。集中力と感性をフル活動させなくてはなりません。紳士服の世界で10年、膨大な生地を見てきましたが、今だに調子の良い時でないとズバッと生地の「質」を見抜くことは難しいです。もちろん生地を扱うプロとしての最低限の目はいつも持っているつもりですが、今回皆様にお聞き頂きたいのはそういった普通の見方ではない特別な目のお話。

生地ってシーズン毎に飛びぬけて仕上がりのよい物ってのが数点必ずあるんです。それを見つける作業が難しいんです。私的な言い方をさせてもらえれば「生地の声を聞く」そんなイメージです。

新品の生地でも、実はすでに死んでいる生地ってのが随分あるんです。その理由はいくつかあります。第1に、素材であるウールそのものの質が悪い場合。第2に、染色の失敗。第3にデザインと織りのバランスの失敗。そして最後に、なんていうか自然界のいたずらっていうかなんというか、作り手の気迫の有無みたいなものがやっぱりあるんですよね。言葉にはなんとも言い表せない感覚です。

飛びっきりよくできている生地とは、艶があって、張りがあって、しなやかで、染色が飛びっきりうまくいっていて、もう生地自体が物を言ってくる感じ。それはもう圧倒的です。

圧倒的なのに、なかなか見つけることができないというのはなんだか矛盾しているように思われることでしょう。私も未だにそれを不思議に感じています。

飛びっきりうまくできている生地は、「品」を得ているかどうか?という領域といえるかもしれません。

人間も生地も、やはり最終的にたどりつくのは「品位」という価値なのかもしれません。

2009.03.18

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今年の春夏は何を着ましょ!!

なんだか日本が元気ないようですね。でもそんな空気に負けていては、せっかくの人生が台無しになってしまいますよね。私は、こんな時期こそチャンスだと確信しています。

どんより曇った世間の空気を跳ね返すには、こんな時期こそ視野の広くなるような本を読み、優雅な時間を過ごし、素敵な服を作るのが一番!!まずは私自身がそれを実行するべく、只今今年の春夏の生地を物色中。

正直やっぱり楽しいです。
今年も素敵な生地見本がどんどん届いているので悩みますが、またそれが楽しい!!

今年は昨年と同様、白ズボンを基調に夏は過ごすつもり。だからそれに合わせたジャケットを一つ作りたい。ネイビー系かライトグレー系か。。。

そして今年は夏スーツも一着作りたいのですが。。。
どんな生地がいいでしょうかね~。

スーツもジャケットも、白シャツにソリッドの紺ネクタイを合わせたいので、上品にすっきりがテーマ。

ジャケットはジーンズにも合わせられるものでなくてはね。

さあ、春のにおいが充満してきて、元気いっぱい!!

今年も世間の空気とは全く関係なく、コツコツと幸せを積み重ねていきたいと思っています。

2009.03.16

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日本人が知ってはいけない哲学という学問。

今年の一月にフィレンツェを歩いているとき珍しく少し道に迷った。私が迷っていた所は、サンタマリア・ヌオーヴァ救急病院の前だった。帰国してから知ったのだが、なんとこの病院は、かのダヴィンチが人体解剖に明け暮れていた病院で、その昔イギリスに初めて病院を作る時に参考にされたという、いわくつきの病院であった。さすがはフィレンツェ!!

今日は哲学について考えてみたいと思う。日本の一般的な教育課程には、哲学が含まれない。私はこれも日本人が自ら考える機能を低下させ、操りやすくするためのアメリカと日本の特権階級の陰謀の一つであると個人的に思っているが。

哲学とは「人間は何のために生きるのか?」ということを考える学問で、人間生活の営みにおいてきわめて直接的であり、人生観においての美意識にもつながる重要な学問である。

ヨーロッパでは高校課程からこの哲学というやつをしっかりとやり、プラトンやソクラテスと対話するのだ。日本とは違いヨーロッパで哲学とは教育の基本であり王道であるという考えが一般的である。そもそも道徳教育なんていうものは、この哲学の枝葉の枝葉であり、哲学こそが人間の根となり幹となる学問であると思う。

イタリア人は、この哲学という学問をすることで「名誉や地位・権力や財力を得ても、その先に幸せがあるわけではない。家庭や家族を大切にしなくて、人生に何があるのか?」というようなフレーズにたびたび触れるのだ。哲学とは物事の本質を考える学問であり真実を追求する。

そんな授業を受けたイタリア人だからこそ、私が今年の1月に聞いた、目から鱗が落ちる感覚に陥った言葉をいとも簡単に発することができるのだろう。

「服の仕立屋は、どうすれば儲かるかという問題よりもまず、美しい服を仕立てることができなけば何の意味ももたない。」

この言葉は、私の心に大きな矢を突き立てた。こんな当たり前のように思う単純な言葉が私の心をつかんで離さない。これから最低でも数年間は、事あるごとにこの言葉が私の体を駆け廻るだろう。

仕事上で会うイタリアの生地屋もそうだ。彼らはもちろんビジネスで生地屋を営んでいるわけであるが、社員一同に第一の目的は美しい生地をつくることだ。その努力の結果としてビジネスが成功すると彼らは確信している。

しかし、日本ではそうではない。儲かるためにはどんな生地を作ればいいのか?とヨーロッパとは真逆の発想で生地屋を営む。だからいつまでたってもヨーロッパに勝つことができない。そしてヨーロッパ人に、もしビジネスで勝ったとしても、彼らは哲学を学んでいて、「ビジネスに勝つ負けるが人生の勝負ではない」という考えなので、すべてにおいて勝負にもならない。

日本人がもし迷っているとすれば、哲学こそが私たちに現在地を示し、そして人生を真の意味で豊にするための道を指し示してくれるに違いない。日本人がもう少し社会全体を俯瞰(ふかん)で見るチャンスに恵まれれば大きく時代が変わる気がしてならない。

2009.03.16

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日本人が知ってはいけない、イタリア人達のバカンスという習慣。

 少し春の兆しを感じる日が増えてきた。日本の春には桜がある。たったわずかな時間のために生きる桜に、日本人は自らの人生とシンクロさせているかのようにもみえる。日本人と桜。その関係は外国人にはなかなか理解できない深い心情が含まれているように感じる。

イタリア人達の一般的なバカンススタイルを正確に想像できる日本人は少ない。なぜなら意図的に知らされていないのだ。マスコミをはじめ日本の特権階級、支配者達は日本人を休みなく働かせるためには、絶対にイタリア人達の生活をリアルに知らせてはいけないことを知っているのだ。

なぜならイタリア人達は、平均年収が300万円~400万円とも言われているにも関わらず、日本人の想像をはるかに超えるバカンスを毎年、毎年行っているのである。

なぜ可能か?原因はやはり政治にある。
(この話をしだすと限りなく長くなるので割愛する)

イタリアのバカンスとは、まず子供の夏休みは約2か月半。数年前までは3カ月もあった。そして夫の夏休みは約1か月。公務員もサラリーマンも、自営業者もみんな1か月はきっちりと休む。そしてバカンスへ繰り出す。

家を出て避暑地にある別荘やホテル、ペンションなどで長い時間を過ごすのだ。午前10時頃から海へ出かけ、昼には昼食を海やレストランで食べ、また海で夕方まで過ごし、夕食は2時間ほどかけて自家製のワインやオリーブオイルに舌鼓を打つ。それから今度は夜遊び。ディスコや野外で見る映画や、夜のウィンドーショッピング散歩など。そしてまた朝から海へでる。それを夫は1か月毎日。子供や妻は2か月も毎日毎日遊ぶのだ。遊び狂うのだ。

なぜイタリア人達はそんなに遊び狂うのかって?

それは、彼らが人生の意味を考える権利を国に認められているからに他ならない。

2009.03.16

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便利で快適な生活をするために疲れ果てる日本の姿

 イタリアでの朝食は、前日にスーパーで購入した新鮮な生ハムを60g(日本では同じようなものが800円ぐらいしますが、イタリアでは200円)そしてパンとチーズ。それをダンドイッチのように重ねて食べるだけ。あとは入れたてのカプチーノか、カフェラテがあればそれで完璧。一見簡素な食事だが私にとってこの食事が完全なるものに見えてしまう。この朝食がずっと続けばそれで十分だと思えるのだ。

フィレンツェでの生活は、簡素で単純で、これといって目新しいことはなにもない。数百年前から変わらない景色の中で、陽が昇り、そして落ちていく。そんな毎日を送っていると、日本という国がいかに忙しい国かを思わせる。日本の朝食はあわただしい。TVでは「おはよう朝日です。何時何分です。いってらっしゃ~い!!」と追い立てられて、タイムを刻まれる。そして仕事では、新しい分野を切り開くために、新しい製品を生み出すために、そして新しくさらに便利で快適な生活を手に入れるために、悪戦苦闘の日々。。。そんな社会で、日本人の多くが疲れているように見える。

そんなに一生懸命に働いているなら、さぞ素晴らしい世界に向かっているんだろうなと。しかし年金に期待が持てず、医療保障もますます不安定。孤独死、一家ばらばら、若年層に広がる鬱。。。この国はまぎれもなく精神世界の発展途上国だ。でも、考えかたを一つ変えれば、まだまだ私たちの向かうべき世界にはのり代がたくさんありそうだということ。経済的な発展がこれ以上望めない時代に入ったという。今がチャンスだ!!これから20年かけて精神的な文化の発展を築いていこうじゃないか!!日本人ならできるんじゃないかと思う。そしてできなくても、やらなくてはいけないことだと。そして私はそのためにもイタリアとこれからも往復しようと考えている。

2009.03.16

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イタリア物語「美しさというキーワード」

イタリア出張から帰国して2週間。顧客の皆様の何人から「出張おかえりなさい。」って言われただろうか。こんな幸せな仕立て屋は日本に私だけじゃないか?って思ってしまうほど。この場をお借りして心から皆様に御礼申し上げたい。

昨夜もお客様と食事をしながらの会話に花が咲いた。イタリア人ってなぜあんなに「美」に対して一生懸命になれるんだろう。そんなテーマが出た。私自身もそれについては長年考えていた。でも今回の出張で感じたのは、彼らの歴史からくる国民意識だ。彼らは3千年にも及ぶ民族間の血みどろの戦いに彩られた歴史の上に生きている。日本人に比べて彼らは平和が続くという意識が薄い。そして都市国家の集合体であること。19世紀後半まで統一国家ではなかった歴史を持つ彼らは、ミラノ人はフィレンツェのことを、「金融で儲けた品のない国」といい。フィレンツェ人はミラノのことを、「なぜあんなに気候の悪いところで金、金といって、お墓にもっていけるわけでもないのに、あくせく働くのか理解できない。」という。

彼らのこだわりは、ただデザイン的な「美」にとどまらない。人生観に対する美意識をも持ってして、旧都市国家としてのアイデンティティーを確立しようとしているのだ。刹那な平和をいかに過ごすか。彼らは長く繰り返される戦いの歴史の中で、「人生とは何ぞや」という問いに対し思考する時間が、日本人よりもはるかに多かったのではないかと思う。その答えとして彼らは、美しさこそが人生を意味あるものにしてくれるキーワードであると見出したに違いない。

最後に、今のフィレンツェの街並みを創り上げた、ロレンツォ・ディ・メディチの言葉を紹介して締めくくろうとしよう。「生きることは喜びなるかな。この一瞬を完全に生きるべし」

2009.03.16

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イタリア物語「イタリアのミニ料理事情」

イタリアでの生活でなんといってもかかせないのは、「カッフェ」であります。イタリアでのカッフェ事情を話しだすと膨大な文章になるので、今日はさておき。早朝から家内が入れてくれるエスプレッソを香りで今日も一日が始まります。

イタリアといえば、やっぱり食です!!こいつを楽しまなければイタリアへ行った意味がありません。それぞれの地域にそれぞれの郷土料理があります。郷土料理のことを話しだすと常に情熱的なイタリア人がさらに燃えだします。時間の無いときにそれが始まるともう大変です。

郷土料理が豊かなのは、これは考えてみれば当然で、ほんの100年ほど前まで、ミラノやフィレンツェ、ベネツィアやローマなど、それぞれの地域は別の国々なのです。そしていろんな国々の植民地になった歴史のある街は、さまざまな文化が入り混じった料理が残ります。

中でも、フィレンツェの代表的な料理の一つにステーキがあります。写真は一般的な1人前の量600gです。イタリア人は本当によく食べますので、男性で600gといえば少ないといわれます。美味しいの?って?「もちろん!!」これがめちゃめちゃうまいのです。日本でおいしい肉といえば霜降りですが、イタリアは赤身。肉への考え方というか文化も違うんですね。やわらかくって、程よい噛みごたえがあって、日本的な脂肪分の甘い味はしないですが。肉自体のうまみはすごく感じます。

フィレンツェのパンは塩を使いません。パン自体にはまったく味がしません。だからパンだけでは食べられません。でもこれがうまくできていて、料理の邪魔を絶対にしないパンとは実はこれなのです。日本へ帰ってきてレストランでパンを頼むと、パンがおいしいものだから料理の味が少し半減してしまっているのに気づきます。

このステーキにパン。そして赤ワイン。
もうたまりません。

2009.03.16

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イタリア物語「TPOの達人こそエレガンテ」

今年もフィレンツェ(サンタマリアノヴェッラ駅のほんの近く、バッソ要塞の中)で例年どおり2009年新春のPITTIコレクションが盛大に開催されました。昨年の一月と同様に、雨が降ったりやんだりの思わしくない天候での開催でした。足下が悪いなかでも全く関係なく、世界中のバイヤーや取材陣、各種メーカーや職人たち、一流モデルまでが一堂に集まって華やかな展示会でした。

イタリアで美しいとされるファッションが、そのまま日本に通用するかという問題は、本場のフランス料理が日本人の口に合うか?という問題とよく似ています。それぞれの国ごとに政治的ルールが違うように、美意識においてもそのプラットホームは大きく異なります。

ミラノコレクションやパリコレの衣装を、日本のパーティーに着用すると、たぶん次回から呼ばれなくなるでしょう。しかし、そのパーティーが外務省の人たちばかりのパーティーなら話は別です。彼らは日本のプラットホーム以外のプラットホームを知っています。次回から呼ばれなくなるどころか、ご縁がひろがるかもしれません。

これが、TPOっていうものの本質です。パーティー衣装、式典の衣装、日常の衣装、ビジネスシーン。それぞれの場所がどの国の、どの時間の、どのような内容の、どの季節の、どのような方々の集まりかによって総合的に判断する。

その難解な問題をその時々でクリアする。その作業こそがTPOというわけです。それはなにも衣装だけに言えることではありません。そこに出されるお料理も、そこで話される話題の内容も、言葉遣いや身の振る舞いも。そのすべてがTPOであり、知識と経験によって鍛えられるものなのです。

TPOの達人を人はエレガンテといい、エレガンテを身につけた人は世界中どこへ行っても尊敬されます。地位や名誉や資産だけでは尊敬されない。イタリアへ行くと誰も「みのもんた」を知らない。数年で何度も変わる日本の総理など、誰も知らないのです。そんなことを肌で味わうのも、日本という島国から一歩外へ出ることの価値なのかもしれません。

2009.03.16

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イタリア物語「必要なものって?」

オランダのアムステルダム空港を経由して降り立ったミラノは、大雪後の雪がまだ残る雪景色だった。夜は氷点下まで下がるミラノは、耳や頬が痛くなる寒さでカシミアのコートを着ていても体を動かしていないと凍える寒さ。日本の都会のように、どこにでも暖房が効いているわけではないイタリアでは温かいコートが必需品だ。

世界のアーティストは言う。日本の東京は1年ごとに街並みが大きく変化するクリエイティブな国だと。今度は、ヨーロッパを愛する日本人が言う。ヨーロッパは新婚旅行以来30年ぶりに行っても、30年前と変わらない美しい景色が広がると。

その国その国が持つ歴史と、その歴史に裏付けされた国民性。その違いはあまりにも大きい。サブプライム問題以前から慢性的な不景気が続くイタリア。通貨がリラからユーロになってから極端に物価が上昇し、その物価が下がらない。平均的なサラリーマンの給料は20代30代で15万前後。一人暮らしができないので親元から離れなれない。彼女と結婚したくても出来ないので、長く続くお付き合い状態だ。

しかし、イタリア人は明るい。彼らの陽気さがあの国を下支えしている。人生において人間の持つ明るさが、いかに重要かを心に沁みさせてくれる国でもある。かれらの笑顔に毎日ふれると何でもできそうな気がしてくる。病は気からというが、気持ちが明るく元気でなくてはなにもできない。明るさを手に入れるために、私たちには何が必要で何が不必要なのか。そんなことを考える良い機会にしたい。

2009.03.16

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イタリア物語「インスピレーション」

フィレンツェは一月によく雨が降る。今回も雨の日が多かった。雨が降るとフィレンツェはつらい。なぜなら歩く街だから。足もとが悪いフィレンツェはなんとなくブルーになる。イタリア人はちょっとした雨なら傘をささない。その理由は分からないが帽子やコートのフードをかぶってしのぐのだ。

イタリアで私は人生を学ぶ。彼らの生活の中に素敵な生き方を探す。今回大きく得たインスピレーションは、「人生とは意味の無いものを意味のあるものにする行為」だということ。これは仕事にもいえる。日本でよく聞かれるのは「良いものをどこよりも安く!!」。イタリアではこの意識は薄い。良いものにはちゃんとそれ相応のプライスがあると彼らは考えている。そして利益も大切だが、彼らはフェラーリを作ったということを誇りにする。これを総訳すると意味のないものを意味あるものに変化させたときの評価はたいへん高い国だといえる。そして意味あるものという基準の中に大きなシェアを占めている価値観は、そう「美しさ」なのだ。

2009.03.16

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イタリア物語「イタリアでの日本人の評価」

最近イタリアでよく聞くことになったのは、日本人に対する評価が落ちていることだ。最近の日本人は自分たちのことしか考えていないという。礼節を重んじ、義理人情に厚い日本人はどこへ行った?と聞かれる。観光客もそうだが、これはビジネスマンもそうで、日本人はお金の話に始まりお金の話に終わると彼らはいう。これだけ買うからここまで負けてくれるか?とか、数年間独占契約を結べないか?など。イタリア人達はこんな日本人をとても嫌っている。特に彼らは口をそろえて大阪人を嫌う。今回の出張中でもなんども聞いたセリフは、おまえは大阪から来たのにも関わらずお金のことを言わないな~って。そして、私は仕事をする相手の職場の写真や職人の作業場、職人が仕事をしている表情などを写真に撮るようにしているが。すると彼らは、日本人は商品ばかり写真に撮って帰るが、おまえは面白いな~といって嬉しそうな顔をしてくれる。彼らにとって日本人の評価の高いところもある。それはビジネスにおいて一度決まった金額はちゃんと期限通り支払われるということだ。だから彼らは一年の初めに日本の仕事から優先的に手をつける。現金がちゃんと入ることは彼らは喜んでいる。

世界でトップクラスの信頼度持つパスポートの一つは、間違いなく日本国籍のパスポートだ。入国審査をはじめ、いたるところでそれは感じることができる。世界の中での日本。島国という条件は、なかなか世界を想像しにくい。

2009.03.16

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イタリア物語「価値観の違いって」

異なった歴史を持つ人々との交流は、個人の思考の中に大きな風穴を空けてくれる。日本で当たり前のルールがイタリアでは通用しない。生き方も違えば価値観も違う。当然尊敬される人の基準も違う。私のような大きな資本力を持たない仕立て屋でも、美しい服を作り、彼らと息が合えば認めてくれる。それがイタリア。いくら理論武装や社会的地位武装をしても仕立て屋が美しい服を作れなければ何の価値も認めてくれない。日本なら大物芸能人や一流企業の経営者などの服を作り、東京の一等地にドーンと店があればそれだけで認められる部分は大きい。日本はステータスというものに大きな価値を置く国と言える。このことは人生においてもそうで、日本人の人生観は一戸建てを手に入れて、高級車に乗り、一流大学に子供を入学させればとりあえずのゴール。ステータスを得るための人生とも感じる。日本人は高級車を磨くことに一生懸命で、その車で行くところがない。なんとも不思議な国である。

でも、これは日本の社会が平和で、世界水準からみれば極めて安定している国だからこそあり得る価値観だと、イタリアへ行けば思う。日本に比べるとイタリアは治安も悪いし、政治も安定しない、政治が安定しないということは社会が安定しない。だから日本人のように中長期的な人生設計があの国ではできない。よって、極端にいえばイタリア人達は一年一年その年を生きている。だから「今」という時間を輝かせようとする思いは日本人よりはるかに大きいと感じるのだ。政治が不安定で、アメリカのサブプライム問題が世界中をかけめぐっていても、イタリア人達は持前の楽観主義と陽気さは失わない。暮らしやすいのは断然日本だが、生きていると感じるのはイタリアである。

2009.03.16

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店主のイタリア物語2009

今年もイタリア出張というスケジュールから年を明けることになった。私がイタリアを毎年訪れるのには2つの目的を持っている。ひとつはもちろん仕事。ネクタイの仕入れという具体的な仕事から、イタリアファッションの動向調査、ファッションのコーディネイトの研究や、スーツやコートのサイズバランスの研究、配色やアイテムの組み合わせ方法など、計り知れない研究材料がPITTIをはじめとするイタリアという国の全土にごろごろ転がっている。それを眺めながら目で観察し肌で感じて、頭の中にイメージとして叩き込むのだ。この研究と仕事は即効性を持つ。今年一年お客様に何を進め、どんな服を目指すかというインスピレーションに直結する作業だ。研究発表は、もう一つのBLOG、「ファッションBLOG」の方で一つ一つご紹介していきますのでご参照ください。

そしてもう一つの目的は、人生とは何か?という問いに対する旅でもある。今回でイタリアを訪れるのは、もうどれぐらいになるだろうか。それなのにまだまだ新鮮な感覚が土石流のように襲いかかってくる。それがイタリアという国だ。何気ない日常の中に日本とは全く違うルールがあり、そこに住む人々の独特な価値観がある。イタリアを訪れる回数が増えるごとに、観光的な思いはそぎ落とされて、彼らの生活の中に徐々に溶け込んでいく。行きつけのバールが出来、行きつけのスーパーができ、友人ができる。話題も、「どこから来たか?おまえは何人で、どんな仕事をしているのか?」という話題から、今日は元気か!!という会話に変化していく。

私はフィレンツェに滞在する期間が一番長い。フィレンツェという街は小さな小さな町で、治安もよく、一日あれば街全体を隅々まで歩くことができる。同じ道を毎日何度も歩くことになるので、知り合いもできやすい。一年に一度訪れるだけの私でもおお!!久し振りだな、覚えてるぞ!!から始まることもある。そんな街フィレンツェで今年も1週間、朝から晩まで染まってきた。日本にいればたかが一週間だが、しかし私のフィレンツェでの一週間はあまりにも濃い。知り合いが友人になり、友人が親友になることも可能な一週間なのだ。

そんな物語を一つ一つご紹介していきたい。
物語の始まりは、やはりイタリアであるので、
一杯のカッフェ(イタリアではカッフェ=エスプレッソを意味する)から始めようとしよう。写真は「カッフェルンゴ」といって、エスプレッソを少し薄めて量を倍にしたもの。薄めたといっても日本で飲むコーヒーの10倍は濃い。

2009.03.15

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イタリア談義「イタリアの時間」

イタリア人は時間にルーズだって言われる。たしかにルーズだ。でもそれはイタリアのルールなんです。イタリア人みんなが、そのルールに合わせて生きてる。日本は「時間を守らないと、相手に失礼だ。」というルール。しかし、イタリアのルールはそうじゃない。会議も時間通りには始まらない。パーティーなんて、開始時間に行っても誰もいない。イタリア人は会議やパーティーのスタートの時間よりも、その内容の濃さを極めて重視する。

イタリア人は会社も1秒でも早く帰ろうとする。だから早く帰れるように猛烈に仕事をする。イタリア人は7月から8月にかけて1ヶ月ほど仕事を休む。休むために1月~6月まで猛烈に仕事をする。そういう風に社会がなってる。日本とはあまりに違う社会のルール。イタリアのルールが日本より優れているか否かということではなく、日本とは違うルールだということを知ると、イタリア旅行で腹の立つことが減るだろう。

日本人がイタリアへ行くと、腹の立つことが多い。なぜって?それは行けば分かる。

2009.03.15

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イタリア談義「バール編」

イタリアでは、カプチーノは朝しか飲まない。数年前にボローニャに行ったとき、エルメスに生地を提供しているローリー社長と、最高顧問ニコラの3人でバールに入った。時間は午後1時。私はカプチーノを頼んだ。するとバリスタに「ここはボローニャだ。男はカッフェ(エスプレッソ)だろ!!カプチーノを飲みたかったら午前中にミラノで飲んでこいよ!!」ってなことを言われた。私がなんとなくバリスタ怒られている姿を、ローリーもニコラも「まあしかたないな~。お前が昼過ぎにカプチーノなんて頼むから怒られるんだ。」ってな顔して僕を見てる。あれには驚きましたよ~。カルチャーショックってなんとなくこういうことか~って。結局カプチーノではなく、すごく濃い~エスプレッソを飲まされた。イタリアのエスプレッソは驚くほど量が少なくそして驚くほど濃い。

それから数時間後、同じ3人で同じバールに戻ってきた。今度はバリスタに怒られないように、「カッフェ!!ペルファボーレ!!」と、ちゃんとエスプレッソを頼んだ。すると今度は、「君は一日に何杯エスプレッソを飲むんだ?一日3杯以上は体に悪いからジュールにしておきなさい。」と林檎ジュースが出てきた。

いや~ボローニャのバールは、難しい。
でも、今となってはあそこのバールが一番好きかもしれない。

※イタリアのバールは、御酒も置いているがエスプレッソを飲む人が多い。そしていつも同じ顔ぶれ。バールごとにサッカーファンがチームごとに分かれていたり、政治的意識が共通していたりする。同じ顔ぶれが何十年、もっというと死ぬまで通う。一度自分のバールが決まったら他のバールには行かない。なんとなく京都の御茶屋の文化と似ている。立ち飲みで、みんながやがや毎日毎日同じ顔ぶれで喋り捲っている。なかなか日本には無いシステムなので、想像できにくいと思う。イタリアに行ったらいろんな都市のバールに顔を出して、その都市その都市の空気を満喫してほしい。ちなみにバールは女性はなんとなくタブーである。

2009.03.15

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フィレンツェの夜

毎年のイタリア出張で一番長く滞在するのはフィレンツェ。写真はそのフィレンツェの一般的な裏通り。日本のどこをさがしてもこんな雰囲気のところはないですよね。慣れないと少し不気味です。いつもこんなところをぶらぶら夕食後散歩したりしています。時々寂しく感じることもありますけどね。でも大好きですフィレンツェ。今年も夏イタリア出張を予定。こんなに忙しいのに本当に行けるのかな?時間は作るもの。作るもの。

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